近くに眠る仁徳天皇皇后の足跡|ヒシアゲ古墳を訪れて

磐之媛命の陵を訪ねて
皇后の誇りと古墳の静寂に触れる旅
文・写真:NORI(歴史ブログ「古代に息づく記憶」より)

自宅から車で10分の距離にあるヒシアゲ古墳(平城坂上陵)
今日は、身体のメンテナンスの後、帰り道から少し脇道に入り、ジムニーで、この神秘的な場所を訪れることにしました。
車を走らせながら、古墳が位置する場所が少しずつ近づいてくるたびに、胸が高鳴るのを感じました。
こんなにも身近に、古代皇后の眠る場所があることに、再び驚かされます。
到着すると、静寂な空気と時が止まったかのような感覚に包まれました。
そこに立つと、古代の記憶が鮮やかに蘇るような気がして、しばらくその場で深呼吸をしました。
平城坂上陵とは
この古墳は、全長219メートルの前方後円墳で、5世紀中頃から後期にかけて築造されたと考えられています。
全国でも24番目の規模を誇り、壮大な規模が目を引きます。磐之媛命、仁徳天皇の皇后の墓とされ、宮内庁によってその場所として指定されていますが、周囲には静かな自然が広がり、古代の空気を感じながら歩ける貴重なスポットです。
現地に着くと、ひっそりとした森に包まれた陵墓が静かに佇んでおり、その静けさはまるで時が止まったかのようでした。
周囲の木々が作り出す影の中で、歴史の重みを感じながら歩くことができました。
仁徳天皇と磐之媛命の物語
仁徳天皇は「民のかまど」の逸話で有名で、その統治は寛大かつ優れたものでした。
民のために税を免除し、戦乱を避け、国民の生活を守ることに尽力しました。
しかしその一方で、彼の心は宮廷内の女性たちに注がれることが多く、特に八田皇女への愛情が強かったとされます。
このため、磐之媛命は深く心を痛め、皇后としての誇りが傷つけられたと言われています。
歴史書『日本書紀』によれば、磐之媛命は他の女性たちとの関係に嫉妬し、深く悲しみながらも自らの立場を守り続けました。
その心情がつづられたエピソードは、強い女性の誇りを象徴しています。磐之媛命の最期に関しては、『日本書紀』や『古事記』では明確な場所については記されていませんが、伝承の中ではその後、彼女がどの地で最期を迎えたかは記録に残されていないため、具体的な場所に関する説は様々です。
ジムニーで訪れた古墳の静寂
今回、私はジムニーで訪れたため、その小回りのきく走行がとても便利でした。
荒れた道をしっかり走破できるジムニーならではの楽しさがあり、古墳近くの道でもその走行性能を実感しました。
車から降りると、その先に広がる静けさと緑が一層引き立ち、まるで自然の中に溶け込んだような感覚になりました。

白い鳥と鳥居の神秘

さらに不思議なことが起きました。陵墓を訪れた際、鳥居の上に白い鳥が輝くように止まっていたのです。まるで神の使いのように、白い羽根が輝いているのを見て、私は思わずその瞬間に立ち尽くしました。
その光景は、まるで皇后の魂が私に語りかけているかのようで、非常に神聖な時間が流れていました。白い鳥が鳥居に止まっている瞬間、その場にいた全ての空気が静まり返ったような気がしました。

この神秘的な出来事が、さらにその地の神聖さを引き立ててくれました。
まとめ|誇り高き皇后の記憶
ヒシアゲ古墳(平城坂上陵)を訪れて、私はただ歴史の一部としての古墳を見るのではなく、磐之媛命の強さ、誇り、そして悲しみを感じることができました。
彼女の物語は、古代の皇后としての強さや悲しみを乗り越える力を私たちに教えてくれます。
そして、ジムニーで訪れたことで、近くにあることの重要さを再認識しました。
故郷の大阪から離れこの土地に移住して来たことが、何故か?魂がこの地を選んできたと理解できました。
これからもこの地にある歴史ある場所を訪れ、古代の日本の歴史に思いを馳せていきたいと思います。